桜遊具あの場所の間取り

大学生の駄文です。

大好きなりななんへ

これは大好きな私立恵比寿中学松野莉奈ちゃん

通称りななんの一周忌である2018年2月8日にInstagramに投稿した文章です。

 

もう1年てもまだ1年っても思うけど
りななんが死んで今日で1年。

 

ここからはただの自己満足な文章

 

幸せなことに身近な人が死んじゃうって
ほとんど経験しないまま20年間生きてて
その日はお母さんと映画見て終わった後
歯医者行く時間まで時間潰そうと思って携帯みたら
Yahoo!ニュースで知って
わけわかんなくて信じられなくて
そういやエビ中友達に電話とLINEしたな
お母さんが関係ない楽しい話たくさんしてくれたから
地元いる間はなんとかなってたけど
一人暮らしの家に戻ってからはドッキリなんじゃないかなってずっと思ってて
献花式にもいったけど、ドッキリでした〜!
っていつもみたいに笑って帰ってくるんじゃないかなって思って受け入れられなくて
今でもどこかで思ってるけど
でもそんなことはなくってりななんはもうこの世にはいなくって

私の記憶の中で一番のりななんは
2016春ツアーで全力☆ランナー歌ってる姿もだし
でも何よりもファミえんの翌日に江ノ島であった時で
応援してますって言って握手もできて本当なよかったなあ。

りななんがいなくなって二推しのぁぃぁぃの転校が決まって
推しがいないステージのどこを見たらわかんないし
前向きに送り出すことすら出来なかったし
そう考えると高1から5年半好きだったエビ中への気持ちが燃え尽きた感があって
本当はりななんのいないエビ中を応援し続けるべきなんだと思うんだけどね。難しい。

いつか卒業や解散をするってわかりながら今でもでんぱ組やらBiSHやらを好きなわけだし
現に去年はもがちゃんの脱退があっていまだにロスから抜けられないし
でもやっぱりアイドルを好きなのはやめられなくて
いつか来るいなくなる日まで好きな人たちを推し続けようと思いました
そんでその来たる日にはちゃんと前を向いて送り出してあげよう

りななんありがとうこれからも大好きだよ

大好きな忘れらんねえよへ

大好きな忘れらんねえよからベースの梅津拓也さんが脱退することが決まった。

思い返せば私が忘れらんねえよに出会ったのは2016年の4月のことで、ばかばっかを聞いて「なんだこのバンドあほだなあ」と思ったのが最初だった。

そこから6月P青木ひとり生誕祭で初めてライブにいった。楽しかった。

私はボーカルの柴田さんがたまらなく大好きで、柴田さんの紡ぐ歌が言葉が大好きで、悲しくなったり悔しくなったりしたら柴田さんにリプを送っていた。がんばれ、君なら大丈夫、応援してる、薄く見える言葉も柴田さんに言われればその時だけ自分が最強になった気がした。

10月 俺よ届けが発売された。私の住む近くのタワレコでお渡し会があり、横浜のタワレコに向かった。初めて話す柴田さんはあったかくて優しくて、いつもリプありがとうございますと言ったら「大丈夫だよ、きっとうまくいくからね〜」と言ってくれた。あの時の柴田さんの声を私は1年半たった今でも忘れない。柴田さんの目の前にたった瞬間ぼろぼろと泣いてしまって、そのあとの梅津さんになにも言えなかったことも覚えている。今思えば梅津さんと話せたのはあの時だけだったんだろうか。

 

2016年10月9日

Zepp ダイバーシティ忘れらんねえよのワンマンライブがあった。はじめてのワンマンライブだった。私は病み上がりだったため後方から柵に寄りかかるようにして見ていた。後ろから見る忘れらんねえよのライブは一体感と幸福感に満ち溢れていて、どうして私は今声を出せないんだろう、と思っていた。悔しかった。でもそれ以上に楽しかった。

 

11月5日 Bowline新木場

三列目だった

忘れらんねえよを見ると毎回涙が出るのだなとこの時感じた。

 

2017年4月2日

日比谷野外音楽堂ワンマンライブ

10月のZeppで開催決定して、即チケットを取った、直前でソールドアウトしてとても嬉しかった。その時のライブノート(ライブのチケット、セトリ、感想やレポを自分で書いているノート)が今手元にある。

「最後のMCで柴田さんが、梅津くんずっと一緒にバンドやろうな、と言っていた」と書いてある。この時の2人の気持ちを否定する気持ちも、嘘つきと思う気持ちも1ミリもない。だってその時の2人は本気で思っていたんだから。

 

9月10日

ベイキャンプ

私は大学が忙しくなり、ベイキャンプが久しぶりのライブだった。久しぶりのライブ、久しぶりの忘れらんねえよ、初めて私は最前列をとった。花火と明日とかどうでもいいを初めて聞いた。最前列で見る忘れらんねえよはいつも以上にキラキラしてはしゃいでいて、忘れらんねえよが大好きだと実感した。

 

10月20日

ツレ伝ツアー FAD横浜

初めてツレ伝にいった。ツレはグドモだった。

MCで「俺は、グドモにもお前らにも頑張れって言いたい、俺はそれを全力で応援する」と柴田さんが言っていた。それだけをはっきりと覚えている。

 

12月9日

ツレ伝ツアー EXシアター六本木

これで忘れらんねえよをはじめとしたライブは最後と決めていた。春に大学四年生になる私には大学院試が控えており、研究室との両立のためライブにいくのを一旦やめようと思っていたからだ。

2列目、柴田さんの目の前だった。転換のとき涙が出そうだった。

三曲目、Cから始まるABCでイントロ梅津さんと柴田さんが背中を合わせる。Zeppワンマン、日比谷ワンマン、これを2人がやっていると私の胸が高鳴る。やっぱり忘れらんねえよはこの二人だ、この2人が私のヒーローだ、と思っていた。

 

そして今日2018年2月2日

私は20時に公開された大好きなBiSHの新しいMVであるJAMを見た。それは6人のメンバーが自分の憧れていた人に会う、という企画形式のMVで、彼女達も人間で、誰かの言葉や歌や存在があって今があるのだな、私にとってそれはBiSHだったり忘れらんねえよだったりでんぱ組.incだったりSuperflyだったりたくさんあるな、でも今はBiSHと忘れらんねえよだなと思っていた。ツイートしようとしてTwitterを開いた。ひとしきり感想をツイートしてタイムラインを見た。

大好きな忘れらんねえよから梅津さんがいなくなることが発表されていた。一人暮らしの部屋で、え、嘘でしょ、と声が出た。無意識だった。

私はここまで支離滅裂な文章ながらも忘れらんねえよが大好きだと綴ってきた。忘れらんねえよの歌は悔しい、悲しい気持ちがたくさんあって、私のことを歌ってくれていて、感謝が沢山ある。

バレーコードは握れない、夜間飛行、俺よ届け、明日晴れるといいな、いいひとどまり、、、私は彼らの言葉に勇気をもらってきた。そしてその言葉は歌となることで私に届いてきて、2人は唯一無二の存在だと思っていた。

 

思っていた。

 

なんで、とも思うし、やめないで、とも思う。

2人の歌うステージが、2人のMCがたまらなく大好きだった。打ち上げの写真もツンデレな梅津さんもデレデレな柴田さんも大好きだった。私の人生だった。

 

でも私は応援すると決めた。

 

先ほども少し書いたが私の大好きなアイドルにでんぱ組.incというものがある。でんぱ組.incはメンバー全員が暗い過去を持ちそれでも夢を諦めず、世界を幸せにしようとしてくれている、いや、幸せにしている。

そんなでんぱ組.incから去年の夏、最上もがが脱退した。変わらないと思われていた6人グループは5人になり、去年の年末には7人になった。不安も疑問も沢山あった。だけど私は、メンバーの夢眠ねむの「未鈴ちゃんが諦めない限りでんぱ組.incは終わらない」という言葉を覚えている。赤色担当の古川未鈴が始めたいと言って始まったでんぱ組.inc。未鈴ちゃんは誰よりもアイドルになるということに執念を持っていて、それがメンバー、スタッフ、ファンを魅了している。私の推しは未鈴ちゃんではないが未鈴ちゃんが諦めない限りでんぱ組.incを推し続けると決めている。

 

これが忘れらんねえよにも言えるのではと思う。柴田さんが言葉を紡いでいく限り忘れらんねえよは終わらないし、忘れらんねえよが続いていくからこそ梅津さんには自分の音楽を続けて欲しい。

俺よ届けという曲の歌詞の一節を載せて私のダラダラとした吐露を終わろうと思う。

 

柴田さん、梅津さん、大好きです。

 

絶対 俺変わったりしないから 俺変わったりしないから

ずっと君が好きだから

絶対 俺変わったりしないから 俺変わったりしないから

ずっと君が好きだから

/俺よ届け 忘れらんねえよ