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妄想と現実と中距離恋愛

大学生の駄文です。

チョコファッションドーナツ

授業が終わって軽く友達と雑談をしたあと、僕は電車に乗った。小学校から続けていたサッカー部に大学でも入った僕は、その日久しぶりの用事がない放課後で、ゆっくりと帰ろうとガラにもなく外を眺めながら電車にのっていた。
大学の最寄りから一駅、携帯をいじるでも音楽を聴くでもなく外を観ていた。すると、みたことのある女の子というには大人な、しかし女性というには子供な人が乗ってきた。数十分前まで同じ教室で授業を受けていた、同じコースの人物だ。スミレという名前がすぐに思い出されるくらいには知っている。しかし、話したのは数回、しかも業務連絡だったので回数として数えるかどうかすら怪しい。2人きりで遭遇するのは初めてだったのでどこか緊張してしまい、そのまま視線をそらそうとする。
彼女は僕の存在にいち早く気付き、下から見上げるように僕のことを見つめた。身長が160センチもない僕からしても小さな彼女は何センチくらいなのだろう、意味のない疑問を抱く。
開封したばかりであろうコンビニのドーナツをくわえていた彼女はさくっと小さな音をたてて口の中にドーナツをいれ、少し頬を膨らませて僕に微笑みながら右手で手を振った。僕もつられて柱をつかんでいない右手で手を振り返す。電車が出発すると彼女は僕の立っていた側のドアに寄っ掛かり、もぐもぐと口を動かしながら耳に挿していたイヤホンを抜き、
「帰り、遅いね?」と話しかけた。
「あ、うん、ジュンと話してたから」
そっか、ジュンは逆方向だもんね、と僕の友人の名前を口にする。僕のことは、多分、苗字に君付けだったはずだ。
「これ、食べる?今から出かけるからつい買っちゃった。」
彼女が僕のほうに一歩踏み出し、持っていたドーナツを差し出す。ありがとう、と右手を出す前に彼女のドーナツを持つ左手が僕の口元に近づく。おいおい、と思いつつ先ほど彼女が食べて欠けたドーナツを見つめる。口を開けると、チョコとオールドが半々になった部分が僕の歯に当たった。さくさくと小さな音がなり、僕の喉の奥にまでドーナツが入った。
僕が咀嚼したのを確認したかのように彼女は微笑んで、また、食べ始める。
おいおい、と2度目の思考をした。間接キスなんて気にする年頃はとっくに過ぎているものの、少しばかりは動揺してしまった。
ドーナツを飲み込んで少し手持ち無沙汰な気持ちになった僕は、どこに行くの、と彼女に質問をした。彼女は先ほどと同じようにドーナツを飲み込んでから「ライブ、六本木まで行くの、」と答えた。ブラウン色で軽く巻いたショートボブのちょっとだけ清楚な彼女の見た目からは想像のつかなかった。案外アクティブな趣味持ってるんだなと思う。返事をし忘れた、と思い慌てて「デートかと思った」と返した。
「彼氏はね、先週会ったから次は丸一ヶ月後なの、」
彼女はさらっと返す。1ヶ月後、と小さく繰り返す。そう、1ヶ月後!とニコニコ彼女は復唱した。その笑顔には1ヶ月なんて長さへの不安が少しも感じられなかった。
「ねえ、身長何センチなの?」
僕は続けて質問をする。「148!もうね、伸びなくなっちゃったの、岡崎くんは?」ああ、やっぱり苗字だよな。そんな気持ちを胸にしまい160、と答える。あ、彼氏より小さかった!164だったかな〜彼氏、それでも小さいけどね、と下を向きながらクスクスと笑った。なんだ、意外とのろけるタイプなんだなと思う。
その後、授業の話や共通の友人の話をしているうちに20分が経っていた。
「あ、私ここで降りるんだ」と彼女が言い、パスモを取り出した。電車が止まり、僕は姿勢を立て直す。不意に、彼女の顔が、右手が近づいた。人差し指から金色の指輪が光る。僕が考える間も無く彼女の人差し指は僕の唇の端に触れた。
「ドーナツ、ついてた。じゃあまた月曜日ね、ミナトくん。」
彼女は人差し指についたドーナツのカケラを親指とすり合わせるようにして落とし、20分前と同じように手を振った。僕はこの一連の流れに驚きを隠せずにいたが手を挙げる。
彼女が僕が立っていたのと反対側のドアに向かう。外から吹いてくる風では彼女の短い髪は揺れなかったが後ろ下がりのスカートを揺らした。そのスカートは僕が食べたドーナツのチョコとオールドの部分を足したようなブラウンをしていた。
あざとすぎだろ、と誰にも聞こえないようにつぶやき、ドア越しに彼女を見つめる。彼女は僕の方を振り向かず、白いイヤホンを耳にさしていた。右手で左耳にイヤホンを指す様子が美しかった。
間接キスとも取れる彼女の小さな手に握られたドーナツ、下から見つめるその瞳、そして唇についたドーナツをとる手。恋に落ちる前で良かった、と思う時点で恋に落ちていたのだろうか。
僕は安堵なのかため息なのか自分でわからないまま息を吐いて、また外を見ていた。